国分功一郎著「暇と退屈の倫理学」を読む その3

第2章 暇と退屈の系譜学―人間はいつから退屈しているか  では
西田正規の「人類史のなかの定住革命」を参考にして、暇と退屈の
起源を人類の数百万年続いた遊動生活定住生活ヘ変わった時点と
している。この時点は日本で云えば、縄文時代の始まる前の後石器
時代(今から1万年前)である。

毎日、昨日とは違う場所を歩いて食料や水を求める「遊動生活がも
たらす負荷こそは、人間のもつ潜在能力によって心地よいものであ
ったはず」だが、「定住生活では毎日毎年、同じことが続き目の前
に同じ風景が広がる」(P89)

著者も巻末の註で触れているように、人が“旅行"を好む理由は、旅
行が擬似遊動生活であり、毎日同じことの繰り返しである日常を脱し
次々と景色の変わる非日常を体験させてくれからだ。

また、数百万年続いた遊動生活で得られたDNAが、たかだか1万年
の定住生活で失せるはずもなく、「人は部屋にじっとしていられ
ない」(パスカル)のも良く分る。

このようにして定住生活と共に暇と退屈の問題が始ったが、この
「退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要
な条件であるとともに、それはまた、その後の人類史の異質な展開
をもたらす原動力として働いてきたのである」「いわゆる“文明"の
発生である。」(P88)


第3章は暇と退屈の経済史である。

最初は、経済学者ソーステイン・ヴェブレンの「有閑階級の理論」を
めぐって労働や余暇が歴史的にどう捉えられてきたかが述べられてい
る。

ヴェブレンは、額に汗して労働することだげが幸福をもたらすのであり
文化などは浪費に過ぎないと考えている。従って有閑階級の存在は許せ
ないと。(哲学者テオドール・アドルノのヴェブレン批判)

イギリスの社会主義者でアート・アンド・クラフツ運動をはじめた
ウイリアム・モリスが、労働は必要であるが、労働に縛られない世界
文化あるいは芸術こそが人々に幸福をもたらすと考えているのに対し
ヴェブレンは、文化は浪費だと思っている。

一方著者は、ヴェブレンの「古い有閑階級(たとえば貴族)は品位あふ
れる仕方で、暇な時間を生きる術を知っていた」という指摘に、暇と
退屈の倫理学への重要なヒントがあるとも述べている。

ヴェブレンの次に登場するのは、社会主義者ポール・ラフアルグであ
る。彼は、労働に苦しんでいる労働者自身が労働を神聖視するのは
おかしい、労働者階級は働く権利を要求するのではなく、「怠ける権
利」を要求すべきだという。

著者はこのラファルグの考えに根本的な思い違いがあると云う。
労働を求めるのではなく余暇(怠惰)を求めること、それこそが資本の
論理の外に出ることだとラファルグは信じているが、実はそれは完全
なまちがいだ。なぜなら、余暇は資本の外部ではないからだ。(P117)

労働のみならず余暇をも資本の論理に組み込む例として挙げられてい
るのが、アメリカの自動車王ヘンリー・フォードがつくりあげたフオ
ーディズムである。

フォードは、生産性の向上のために、労働時間を制限し余暇を承認し
た。彼は労働者が休暇中に何をしているか探偵やスパイに調査させた。
工場での労働に支障を来たすようなことをしていないか、チェックし
ていたのだ。(管理された余暇、休暇も労働のー部)

資本主義の発展によって人々は余暇を獲得したが、その余暇に何をし
ていいか分らない人たちに「したいこと」を与える「レジャー産業」
が登場する。経済学者ガルブレイスは「ゆたかな社会」のなかで、現
代社会の生産過程は、消費者の欲望を充足させるのではなく生産によ
って充足されるべき欲望をつくり出す。即ち消費者は自分のほしいも
のを産業がつくり出すモノによって教えてもらうような社会になつて
しまっていると分析している。

ガルブレイスは、「ゆたかな社会」の分析を通じて「新しい階級」に
希望を見出す。多くの人にとって労働とは、不愉快であってもやらざる
を得ないものだが、そうでない人(新しい階級)がいる。仕事こそが生き
甲斐だと感じている人がそうだ。

しかし著者は、このガルブレイスの考えのなかに、仕事においてこそ人
は充実していなければならないという強迫観念を生む要素が潜んでいる
と指摘する。

この章の最後に、ポスト・フォーディズムの問題として現代社会が抱え
る生産と消費や労働の問題が取りあげられる。それは絶えざるモデルチ
エンジをしない限り商品が売れないという生産の問題、「モデル」その
ものを見るのではなく、「チエンジした」という情報を消費している消
費の問題、頻繁なモデルチエンジに対応すべく非正規雇用を増加させる
労働の問題がそれだ。


定住生活は退屈の問題をもたらしたが、有史以来の社会の変化が暇を
独占する有閉階級と暇をもたない無産階級を生み、そして19世紀以降
の資本主義の発展によって、多くの人が「余暇」という暇を得た。とこ
ろが暇を生きる術をもっていなかつた人々は再び退屈という怪物の前に
右往左往することとなった。著者は、以上のように暇と退屈の経済史
をまとめている。

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