国分功一郎著「暇と退屈の倫理学」を読む その5

第5章 暇と退屈の哲学―そもそも退屈とは何か?

いよいよ、この章で「退屈とは何か?」という本書の中核的な
テーマが取り上げられる。

分析の対象となったのは、ドイツの哲学者マルティン・ハイデ
ッガーの退屈論『形而上学の根本諸概念』である。

ハイデッガーは、“退屈"を取り上げる根拠について、次のように
述べている。

「結局、ある種の深い退屈が現存在(=人間)の深淵において物言
わぬ霧のように去来している。」「退屈こそが私たちにとっての
根本的な気分だ」だが「退屈をだれもが知っているが、それが何
であるかをはっきり述べることができない」(P204~205)

そしていよいよ「退屈とは何か?」

退屈には三ッの形があるという。
退屈の第ー形式 何かによって退屈させられていること
退屈の第二形式 何かに際して退屈してしまうこと
退屈の第三形式 何となく退屈だ

退屈の第一形式のシチュエーションとして、小さな駅でなか
なかこない列車を待っている人が退屈を紛らわすために、あれ
これ気晴らしを行う情景を上げて、列車を待つ人が、なぜ退屈
させられのかが分析されている。

列車を待つ人が退屈を感ずるのは、待つ人の期待する時間と
なかなか来ない列車の時間のギャップのせいだ。

さらに、列車を待っている間にする気晴しを手掛かりに、退屈
においては時間がのろい、人は、ぐづつく時間によって<引き
とめ>られている。

そしてぐつつく時間に引きとめられると、何もすることがない
という<空虚放置>の状態に投げ込まれる。そして気晴しによっ
て<空虚放置>に投げ込まれるのを防ごうとする。(やるべき仕事
がないと人は何もない状態、むなしい状態に放って置かれる状態
になる。そして何もすることがない状態に人間は耐えられない)

この<引きとめ>と<空虚放置>が退屈の2ッの構成要素である。

退屈の第二形式はより深まった退屈である。シチュエーション
は招待されたホームパーティで、楽しかつたのだが退屈もした
という状況。パーテイでの人との会話や食事などを楽しみなが
らもふと退屈という気分に一瞬襲われるというようなシチェエ
ーション。この第二形式では、パーティそのものが気晴しであ
り、人はパーティに際し退屈する。ここでは、退屈と気晴しが
独特の仕方で絡み合っている。

第一形式と第二形式との違いは、第一は、退屈させる対象が明確
にあり、それに対する対抗措置として、主体が明確な暇つぶしを
行うのに対して、第二は、主体の置かれている状況そのものがそ
もそも暇つぶしである。

著者は暇と退屈を4ッに分類している。
①暇であり退屈している
②暇であるが退屈してない
③暇がないし退屈もしていない
④暇ではないが退屈している
このうち第一形式の退屈は①で、第二は④だと言う。

そして第二形式においては、先のホームパーティのみならず
私たちの日常にみられる、テレビを観る、ショッピングに出
かける、ケータイメールに時を費やす或いは文学や音楽、も
しかしたら働くことすら“気晴し"であり、そしてこれらに際
して感ずる退屈が、もっとも身近かに感ずる退屈である。
そして“気晴しを行いながら退屈を感じている"これが「人間
の生の本質」(P232)だと、著者は云う。

さて退屈の第三形式「なんとなく退屈だ」は、最も深い退屈だ。
そしてこの退屈は、状況にかかわらず突然あらわれる。この退
屈に対抗する気晴しはあり得ない。そして人は、退屈に耳を傾け
ることを強制される。

第一形式から第二、第三へと退屈は段々に深くなる。また第三の
退屈があるから他の2ッの退屈も発生する。状況の如何にかかわら
ずあらゆる時に突然現れる退屈、「なんとなく退屈だ」これこそが
本質的な退屈であり、第一と第二形式の退屈は、第三形式の退屈か
ら派生した退屈にすぎない。

そして第一形式において人が退屈を感ずる背景には、その人間が仕
事の奴隷になっており、時間を失いたくないという強迫観念にとり
つかれている(ある種の狂気の状態)という事情がある。(もしその人
に余裕があれば、列車を待つ間の時間に焦りや退屈を感ずることも
ない)。これに対して第二形式は,自分で自分に時間をとっておいて
パーティに行くという余裕がある。著者は云う。「ならば、人間が
"正気"で生活していくとは、気晴しと退屈とが絡み合った、この第
二形式を生きることではないだろうか?」(P233)

ハイデッガーは「なんとなく退屈だ」という第三形式においては
人は、外からは何も与えてもらえない、あらゆる可能性が拒絶
されている、だが、むしろあらゆる可能性を拒絶されているが故に
自らが有する可能性に目を向けるように仕向けられていると云う。

そしてハイデッガーは次のように結論へ向う。
「私たちは退屈する。自由であるが故に退屈する。退屈するという
ことは、自由であることだ。この自由をどう実現するか。それは、
『決断することによってだ』」(P243)

しかし著者は、このハイデッガーの結論は受け入れ難いと言う。

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   三寒四温で晴れた日には雪解けも進むが・・・・・・・    

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